【週間】前田 旭(まえだあきら)

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【奇妙な日記】 奇妙な中東人

先日

不動産の物件を見に行くのに

梅田から地下鉄御堂筋線に乗った。

桃山台という駅に行きたかったんだ。



ぼくが座席に座っていると

周りに席が空いているのにもかかわらず

目の前に男が立った。



男は外国人で中東系だと見受けた。

35才くらいだろうか。

身長は178センチくらいで

色黒でムキムキではないが、締まった筋肉だった。

なぜ筋肉の質がわかったたというと

男が半袖のピチピチのTシャツを着ていたからだ。

それはどこにでもある白いTシャツに見えた。



ぼくは梅田から中津を経由し、

西中島に差し掛かったあたりで

(あッ!!)

と気がついた。

男の白いTシャツに

ピンク色で

70ポイントくらいの大きさの文字で

「KISS MY SHOES」

という文字が書いてあったのだ。


(ヒ・・・ヒィーー!!!)


ぼくは叫びそうになったのを必死でこらえた。

いつでも逃げれるように腰を少し浮かせて

「空気イス」状態にした。



すごく長い時間が過ぎた様に思えた。

電車は新大阪を過ぎて

江坂に到着した。



「えさか〜 えさか〜」

アナウンスが響くと

男はなにも言わず

そしてゆっくりと電車を降りて行った。



(よ・・・よかったぁ・・・。)



ぼくは安堵のため息をついた。

中学校のサッカー部以来の空気イスで

ふとももはパンパンだった。


(でも、何もしなかったって事は、フツーの人だったのかな・・・。)


と思った。


(そうだ。)


(たまたまだ。)


(たまたま、そういうTシャツを着ていたフツーの人だったのだ。)


ぼくが自分で結論付けようとした瞬間、

ぼくの目に飛び込んできたモノ。

ぼくは見てしまった。

男の背中に

小学生の女の子が背負うような

小さな小さな

ピンク色の

リュックサックが背負われているのを。


(な・・・何ィィ!!!)


バアァーーン!!!


【奇妙な日記】 奇妙な中東人  

おわり

| blog【奇妙な日記】 | 20:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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独立起業誌「アントレ」に掲載いただきました。

リクルートさん出版の
独立起業誌「アントレ」12月号に掲載頂きました。


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アントレ記事前田旭web


特集で精神科医 香山リカさん の対談記事が載っています。

個人的に香山リカさんとメガネコラボできてとても満足です。
(まったく関係性のない記事だが・・・)


東京から取材にに来ていただいた記者さん、カメラマンさん、ありがとうございました。


わたしも独立起業して1年が過ぎました。

今後とも 経営者さんから お金の悩みを相談して頂けるパートナーとして、

「親しみやすくて頼りになる!」と言われるよう頑張りたいと思います。



前田旭(まえだあきら)

| セミナー・雑誌掲載etc | 10:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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無縁仏


目々(めめ)



子供のころ、

ぼくが生まれたのが昭和53年。


今でも3歳くらいからの記憶は残っているだろうか。

大阪湾近くの工業地帯

川に挟まれた中州の工業地帯。

すぐ近くに淀川の河口と大阪湾が広がる。


湾の近くには鉄鋼所が立ち並び

どこからか大きな船が石を運んできていた。

毎日 遠くからカーン、カーンと

巨人が大きな鐘でも鳴らしてるんじゃないかと思うほど

大きな音が響いていた。

家の屋上から見える 突き出した煙突群からはまいにち

もくもく煙が吐き出されていて、ゆっくり空にすいこまれていってた。

たびたび小学校では 黄色の旗が校舎の一番みやすい大時計の横

に掲げられ、それが すもっぐけいほう というもので

えんとつから吐き出される煙とかが原因だと先生から聞いた。

東側には こくどう43号線が走っており

ゴウゴウと大きなトラックが黒い煙をこれまた吐き出しながら

走っていた。


がっこうで とらっくの煙とかはに二酸化炭素とかで 体に悪い。

と習ったが、

特段 とらっくの匂いが嫌いではなかった。

大きなとらっくは時々住宅地に迷い込み、

工業地帯の ナントカ鉄鋼への行き方を子供のぼくに尋ねるのだった。


当時、親が自営業をしていて

家は自宅兼酒屋だった。


立ち飲み。


親やおっちゃんたちはそう言っていた。


立って飲むから立ち飲み。

子供のぼくらでもかんたんにわかった。

だから色んな人が毎日お店に出入りしていた。

ほとんどが常連さんばかりで

ぼくたちは店のきりもりで忙しい親の代わりに

おっちゃんたちに毎日あそんでもらった。


おっちゃん(おばちゃん)たちには皆アダ名があった。


ハズレ

カラス

ヤマジイ

タチン

モンチッチ



その中にいたひとりのおじさん。



目々(めめ)


いつからか ぼく と おとうと がそう呼んでいた

そのおっちゃんも他の人と一緒で ナントカ鉄鋼に勤めていた。

目ん玉が飛びだしているから 目々(めめ)と呼んでいたらしい。

後から聞いたが本当に目がわるかったとか。





めめはいつも忙しい父親に代わってぼくたち兄弟と遊んでくれた。

めめとは一緒に自転車で淀川の河口にカニを捕まえにいったりした。


将棋もおしえてもらった。

ぼくより おとうと の方が飲み込みがはやかったから

ぼくはいつも弟に負けていた。


めめは競馬もおしえてくれた。

競馬新聞の読み方とか。

あとで聞いたが

子供がおぼえちゃいけないことをぼくらにおしえていたので

ウチの父親からたびたび

いらんことを教えるな、と怒られていたらしい。

あと

めめは横浜出身の巨人ファンだった。

立ち飲みの店のテレビは阪神戦しか写さないので

めめはいつもぼくらのリビングで寝そべって巨人戦を見てた。

時々ウチの家のなかでの家族といっしょに食卓を囲んだ。

夕食がハンバーグとかお肉の時によく来てた記憶がある。


母親が呼んでいたのだろう。

めめは独りものだった。


工場での労働 と 酒 とタバコ と バランスの悪い食事と。

みんな早くに死んでいったんだ。

みんなガンとかだったと思う。

がっこうみたいに健康診断なんてなかったのかな。


でも


みんな働いた後にビールを飲んでつまみを食べてわいわい毎日楽しそうだった。

そんな楽しそうな中で色んなおっちゃんたちと遊んでもらった。

夏は花火をしたし、夜店にいった。

冬はお年玉をもらったり、凧あげをしたり雪だるまをつくったりした。


ああ

そうだ。


大みそかだって、みんな働いてたんだ。

家族みんなでご飯を食べた事は ほんと稀だったなあ。




小学校5年生くらいからか。

ふっつりと

めめが来なくなった。

なんで来ないのか

親に聞いたか聞いてないか覚えていない。


とりあえず来なくなった。


これは後で聞いた話だ。


めめは

元々、東京の大学を中退してそのへんをプラプラして

大阪にたどり着いたらしい。

親からは勘当されて、家には帰れなかったらしい。

めめのアパートには電話もなかったが

まんいちのため、めめは自分の姉に ウチの店の電話番号を教えてた。

ある日、ウチの店に めめのお姉さんから電話があった。


めめのお父さんが亡くなったと。


それを聞いたうちの父親がめめに親父さんの葬式にいくように言ったらしい。

でもめめは 東京までの交通費もお葬式用のスーツももっていなかった。

その時 ウチの父親が10万か20万かをめめに渡してちゃんと親父さんの葬式に行ってこい
と言ったらしい。


でも、結局めめは行かなかった。


そのカネをパチンコで使って大阪に残っていた。

それを聞いたウチの父親が怒って、それ以来、ウチに来なくなったらしい。


後でそんな話を聞いた。


そうなんだ。それで来なくなったんだ。


それからの めめ の消息はよくわからない。


どこそこのパチンコ屋でみた とか そういう話をチラホラ聞いた。

体を壊して入院している とかも聞いた。

その後、

中学校の時に

一度か二度 めめに会った記憶がかすかにある。

「給料が1/3減ったワ」

といっていた。

「1/3ぶん 減ったん?」

って聞くと

「いいや。1/3に減ったんや。」


と言っていた。


子供ながら それで生活していけるんか?と思った


それからさらにに数年たってぼくは高校生だった。

ある日母親から

「めめが死んだ。」と聞いた。


ガンで入院していたらしい。


ぼくたち兄弟が悲しむと思って言わなかったらしい。


もともとガリガリだったのに

もっとガリガリに痩せこけてたらしい。


母親が以前連絡をしたことがある めめ のお姉さんに連絡をした。

遺体をひきとってもらうために。

でも

めめのお姉さんはもうとっくに嫁いでて、

めめの実家でも勘当の身だったので

だれも引き取ってくれなかった。


ウチの父親が

「骨をウチで引き取って仏壇を置く」

と言ったが

親族以外はを骨を引き取れないらしかった。


身寄りのない 無縁仏(むえんぼとけ) というものらしい。

葬式もなく、車で5分の工場街にある焼き場へ皆で向かった。

10人くらいいたか。

皆 のこっている めめの飲み友達ばかりだった。

ひさしぶりに立ち飲みに来てたおっちゃんたちが揃った。

同窓会みたいだった。

おっちゃん達は変わってないのに ぼくたち兄弟だけ大きくなって

なんか場違いな気分がした。


そこで初めてめめの遺体を見た。

死化粧もしていないので青白くてガリガリだった。


でも それは めめ だった。


子供のころいつも遊んだ めめ だった。


めめは 鉄の焼却炉のなかにスルスルと入っていった。

ぼくらは

10歩くらい下がって

空に突き出した煙突を見上げた。


むかし見た空みたいに


煙突から煙がもくもく出てた。


風が無かったからまっすぐ空にすいこまれてた。


ウチのオヤジがぼそっと言った。


「無縁(煙)仏 やのによう煙が出とるで。」

 
僕は つまらないダジャレに鼻で笑った。


無縁仏は 天王寺動物園近くのの一心寺に祀られているらしい。


ぼくと弟はお盆に一心寺に向かった。


めめの 好きだった ワンカップ と スルメを持って。


みんな一緒くたに祀られているので

どこに向かって拝んでいいのかさえわからなかったが

とりあえず ワンカップとスルメを置いて手を合わせた。


無煙仏。


父親の言ったダジャレを思い出して、

僕は手を合わせながらまた鼻で笑った。

| blog【奇妙な日記】 | 13:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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節税と借入。利益はいくらにすればいい?

節税決算を行う方へ! 

節税はしたい。銀行から借入もしたい。
節税決算において、当期利益をいくらにすればよいのか?
その判断基準をひとつお伝えします。

銀行からの借り入れを検討されている社長さんは必見です。

会社の決算時。できるだけ税金を払いたくないからと、利益を減らす会社はたくさんあります。
しかし、利益をあまり少なくすると、銀行の印象が悪い、ということは知っていますよね。

要は「儲かっていない会社ですよ〜」と公言するようなものですから。

じゃあ、銀行との付き合いを考えて、利益をたくさん出して税金をたくさん払わないといけないの??それって モッタイナイヨ! とお思いの事でしょう。

じゃあ、利益をいくら出せば良いか?

この判断基準があれば迷いません。

その基準がこの式です。


↓↓↓↓
つづきはコチラから・・・

| blog【お金と経済】 | 19:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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良い中小企業の条件。番頭の存在。

融資する立場から見てよい中小企業とは?
日本政策投資銀行のある融資担当者 はこう答える。

「番頭格が社内にいるかどうか。外部の目線を大事にする意識を持つことが必要。」


会社には社長の右腕番頭が必要。
これはよく言われる話だ。
注目して欲しいのは後半部分。


「外部の目線を大事にする意識を持つことが必要」


コレが重要です。
僕の考えも全く同じなのですが、ここでひとつ質問。


Q.みなさん。番頭ってどんなイメージですか??


僕はどうしても助さん角さん的な
古くさい感じを想像しちゃう(笑)

「やっておしまいなさい!」
「ヘイっ!!」

っていう、あれです。


番頭と社長の関係って会社によってそれぞれ違うと思います。
社長の言う1に対して10も20も動く番頭もいる。社長と意見交換して意思決定をサポートする番頭もいる。と思えば、番頭が意思決定の主導権を握っている場合もある。


例えれば、

兄と弟?
漫才の相方?
ダンサーとコーチ?

色んな形があって当然ですよね。


ただ、
共通して必要な事は冒頭にあった


「番頭は外部の目線を大事にする意識が必要」


という事だと思います。

外部目線を持った番頭を育てる。


これが会社継続には必須だと強く感じます。


まえだあきら



ひとり起業したい人。 ひとりで仕事をやっている人。 相談できる相手がいない人。

アナタの番頭役つとめます
まずはグチ聞きからでも(笑)・・・

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  コチラからどうぞ。。






| blog【お金と経済】 | 00:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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